Nice to meet you! 「激突」
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翌日は笑いが出るほどの上天気だった。 白髯をひねり、仙人のような老人は淡々と応じる。 「……警察の方が、何のご用ですかな」 「いや、失礼。公用の名刺しか持ち合わせていないんです。今日は非番でしてね」 にこにこしながらいやあ良い天気だと謳っている姿は非の打ち所がないほど爽やかで好感度が高い。 ――喰えぬ。 老人はふむんと髯を震わせた。 「住まいが神奈川なので、地元チームの活躍は楽しみにしています。コーナーバックの細川君、ラインの要山伏君、それに――クォーターバックの金剛兄弟。特に弟の阿含君はいろいろと気になりますね」 にこりと――男は笑った。 「随分自由な印象のあるプレイです。何かと大変なのではありませんか?合わせるほうも」 「――ほっ」 仙洞田が短く笑う。 「あれが世間で何と言われておるか、ご存じか」 「無論です。“100年に一人の天才”――まさにそうだと思います」 「あれは龍。猛き龍を御せるのはただ龍のみにて」 ゆっくりと、監督は呟く。 自主性に任せているということか。その代わり、最低限お利口に振る舞えとそういうことか。 ――高校生相手にどういう指導方針だ!? 「……なるほど」 「龍とても迷妄の内。然りながら、何ぞ得たようでしてな。活き活きとしておりますよ、以前よりも」 老人は笑んだ。 「ほう?」 「一皮むけました。己を律する楽しさを知ったかな」 「……」 「以前のあれとは別人のようです。善哉、善哉」 ほっほっと老人は笑う。 もはや掴める尻尾が出るようなことはないと、そういうことか。 内心に呟き、そして男は穏やかに笑う。 「貴重なお話をありがとうございました。……少し練習の様子を拝見しても?」 「どうぞどうぞ」 「今日は、阿含君は」 「それが感冒を得ましてな。先日来寝込んでおります」 「……それは残念。流行ってますからね。ところで監督。金剛雲水君と少し話をさせて頂けませんか?」 老爺が片眉を上げる。 「ああ、練習の邪魔にならない程度で結構です。実は娘が彼のファンなもので、写真のひとつも取らせて頂けないかと」 「……この場でも宜しいかな」 「勿論」 男が唇の端をあげて笑った。 「西蔵。雲水を呼んできてくれんか、お客様がお待ちだと」 「あ、はい!雲水さん!雲水さーん、監督がお呼びでえす!」 一年生だろう。素直そうな少年が、名を呼んで駆けていく。 12番が気付き、振り返る。ゆっくりとした走りでやってくる彼を立ち上がって迎え、フレンドリーに右手を差し出す。 「やあ!金剛雲水君だね、初めまして。俺の周りみんな君のファンでねえ。進路は考えているのかな?君と、弟君は」 「進路……ですか。まだ二年ですしはっきりとは。来年の春大会が控えてますから、今はそっちで頭が一杯です」 「そうかあ。いいねえ、青春だねえ。弟君にも言っておいてくれないかな。――“おまわりさんにならないかい”って」 にこやかな笑顔のまま、男は言葉のナイフを閃かせた。右の手を握り合ったまま、反対の手で突然脇腹を刺されたような衝撃。意表を突かれ、雲水は目を見開いた。 「――警察の方、ですか」 一瞬の間。 うろたえるな。落ち着け。阿含が尻尾をつかまれるなんて、そんなへまをするわけがない。 だが、警察の人間が何故こんなところにいる。監督が、何故会わせる。 「申し遅れました。――警視庁刑事部、捜査一課長をやっております。一倉といいます」 刺されたナイフが丁寧にねじり込まれた。内臓に冷たい感触が広がっていく。うろたえて引き抜いたりすれば、逆に命に関わる。 「――」 雲水程度の知識でも知っている。捜査一課と言えば花形部署だ。捜査一課長と言えば百戦錬磨の捜査員をとりまとめる、現場の司令官だ。この男は随分若いが、いつだったかスペシャル番組でも捜査一課の特集をやっていたし、この職をつとめた者たちの回想録などもいろいろ出ている。 男は言葉を続けた。 「俺ね、君たちのファンなんだ。会えて嬉しいよ。今日は風邪引いてるそうだけど……次は弟君にも会いたいね」 綺羅のグラスに注がれる甘美な毒のように、男は囁いた。 ――この男。阿含を見ていた奴か!! 息が詰まった。脈拍が跳ね上がる。 警察官が。それも捜査一課の長が弟に目を付けた、その意味。 「弟に……ご興味が?」 そっと尋ねる。男は紳士的に笑った。 「それはもう。ドラゴンフライの金剛兄弟と言えば有名だからね」 ざざ、と、木々が枝を鳴らした。 「おい雲水、何やってんだよ。さっさとパス練しようぜ」 バランスの取れた長身。日に焼けた肌。 スポーツ少年らしい短髪の集団の中、余りにも目立つ長いドレッドヘアとサングラス。 放たれる、独特の華やかな空気。 100年に一人の天才。 神に愛された男――“金剛阿含”。 男の視線が変わった。ターゲットを見付けた獣のように。標的に狙いを定めた狙撃手のように。唇が、明らかな愉悦を含んだ笑みを纏う。 「バカなんでっ――」 反射的に飛び出した強い語調。雲水がはっと口を噤む。しまったと思った時は全てが遅かった。 阿含がその者に不審そうな顔を向ける。 「お、まえ……病み上がりなのに……熱下がったばっかりで、今日も休むものとばっかり」 虚しい言葉の途切れた矢先、さあ、と酷く冷たい風が吹いた気がした。 男は笑った。何も知らない部外者がころりと騙される、うさんくさいほど爽やかな、阿含そっくりの笑い顔。顔のパーツは勿論全く違う。だが、そっくりだ。 「――金剛阿含君だね?」 ぞおっとした。その笑顔の下に何が渦巻いているかは知らないが、阿含と同じ笑い方をするこの男に、雲水は本能的な恐怖に近い不快を感じた。 「風邪はもういいみたいだね」 嘘臭い笑顔。サングラス越しに視線を受け止め、阿含は唇だけで笑う。 こいつか。 見ていたのはこいつか。 視線と囁きと足音の主がついに現れたのを知り、阿含はサングラスを引き抜く。 「……金剛阿含はボクですけど。どちら様デスカ?」 にっこりと、二人はそっくりな笑みを交わした。 「挨拶もせずに失礼。初めまして、こういう者です」 「あっざーす。ワオ名刺なんて貰ったの初めてッスわ俺。しかもけいさつやさんの名刺なんて初めて見るし。いちくらさんか。うお、捜査一課長!?ドラマみてー!……ダチに見せびらかしていいスか?」 「それくらいならいいよ。その代わりコピーして配ったりしないでね」 「どうもッス。そうだ雲水、一休がパス練習しましょうってよ。お客サンのご用って俺みたいだし、行ってやれよ。……ほら、早く行けって」 ふと最初の目的を思い出したように、阿含はいつになく優しい声で言い、優しい顔で雲水を見て、グラウンドを顎で示した。 ――追い払うつもりだ。俺を追い払って、自分一人で何とかする気だ。俺を庇ったつもりかこの愚弟! むざむざお前に庇われて、はいそうですかと引き下がると思っているなら大間違いだ。もう一度言ってやる、この愚弟!! 「……嫌だね。お前、自分だけサボるつもりだろう。ちゃんとパス練習に連れて行くからな。一緒に練習するんだぞ」 阿含の手首を引っ張り、どか、と男の前に腰を下ろす。阿含も隣に落ち着く。 動きは不自然にならなかったろうか。声は震えなかったろうか。 笑いが出るほど嘘の下手な雲水が、三度の飯よりアメフトの好きな雲水が、この男の視線から何とか自分を隠そうと必死になっている。弟一人を連れて行かせるものかと、雄弁に叫んでいる。 おい、と阿含は仙洞田に視線を向ける。老人は居眠りでもしているかのように、こっくりと頷いた。 雲水は頑固だ。こうと決めたら頑として譲らない。居座ると決めたからには、何が何でも追い払われてはくれないだろう。 「……バーカ」 阿含は唇を歪ませるようにして笑った。兄の愚直な優しさが何故か悲しかった。この兄は、自分を庇って撃たれるくらいのことは平気でやってくれるのだろう。自分と心中くらい、いつでもしてくれるのだろう。この兄は、鏡に映したようによく似た兄は、双子の弟が大好きなのだ。 なんだそりゃ。嬉しくねえよ。こんなとこそっくりじゃなくていいのによ。 雲水に近い方の腕を伸ばし、肩に寄りかかる。ごくナチュラルに、雲水の手が重なる。すこし、震えている。 だけど愛してる。優しいお兄ちゃん。大好きだって知ってるか。 落ち着け。決定的な証拠は残していないはずだ。何とでも言い逃れられる。言い逃れてみせるとも。 雲水も、チームも。累を及ぼしてなるものか。 「おまわりさんにならないか、っていうのは口実でね。君に会ってみたかった」 「……へえ?」 「けどまあ、もしその気があったらいつでも連絡してください。君なら警視庁でも警察庁でもお望み通りだろう。これ、本当につまらないものですがおみやげ。参考までに来年度の募集要項ね。しまったなあ、何か食い物も持ってくるべきだった。台場の方の所轄が贈答用にしてる菓子が結構評判いいらしいんだよ。レインボー最中、餡が七色なんだって」 「七色スか?」 「紫がマズいらしいな。今は改善されたかもしれないけど、赤はワイン味で美味しいらしい」 「ワイン味って……珍しいな」 食べ盛りの男子高校生二人を思わず微笑させて、そして彼は言った。 「――阿含君の頭の良さと要領の良さには本当に感心しているんだ」 ――全部知っているよ。 づど、と躊躇いも容赦もなく利き足を貫かれて地面に縫い止められる、あまりにリアルな錯覚。防御態勢に入ったのが災いした。先制攻撃をまともに食らった。 飲まれるなという理性の叫びも虚しい。こんな幻影を見せられたということは、間合いは軽々突破され、この男の領域に取り込まれたということだ。 いきなりそんな台詞を吐かれたら、いくら阿含でも金縛りだ。阿含だから金縛りで済んでいる。普通ならこれだけでパニックに陥っているだろう。横目に見えた雲水は蒼白だ。必死で震えを押さえている。 生じたわずかな隙を閉じさせるほど男はのろまではなかった。隙間に靴先を突っ込み、畳み掛ける。 「お兄さんには言ったけど、君たちのファンなんだ。“ドラゴンフライ”、凄いねえ。うちの部下達――親馬鹿みたいだけど優秀な奴らでね。みんなで応援してるよ、これからも活躍期待してるからね」 ――だけど表沙汰にはしないでおく。 身動きできなくなった所に、やわらかな声で斬りつけられた。 音もなく、何の衝撃もなく腕を落とされたかと思った。それも左腕、肩から持って行かれたと思った。利き腕はQBの命だ。それを易々と奪われた。ミスというより読み損じだ。 ガードは十分固めたつもりだったのに、そのガードごと両断された。甘く見た――油断した。ガードをものともしないかみそりの切れ味は鋭すぎて、斬られたことはわかっても血が出ない。ばっくりと切り裂かれたのはわかるけれど、まだ傷口が開いていない。その静かな予感。ぞっとうなじの毛が逆立った。 塞がっていた傷口がうっすら開く。ぷつ、と、傷口に赤い血の玉が浮かぶ。うかつに動けば腕が落ちる。血が噴き出す。致命傷になる。それに気付いてしまった体が、凍り付いたように動かなくなる。 男はせいぜい分別のある大人のような顔をして、同情するようにいたわる言葉を口にした。 「……やっぱりまだ具合が良くないみたいだねえ。顔色が良くないよ?病み上がりだということだし、地元のヒーローに無理させて何かあっちゃいけない。そろそろ失礼しましょう、大事にするんだよ」 ――自重しろ。出場停止は嫌だろう。 ねぎらうフリしてとどめかよ!性格悪ィなこの野郎! だが言葉は口に出来ない。下手な反応は墓穴になりそうだ。 見返りは何だ。何を望んで、わざわざやってきた。 男は立ち上がる。微笑む。 「個人的に、あと三年もしたらまた会いたいね。楽しみだ!その頃君たちはどうしているのかな。プロを目指しているのかな」 にこやかに。 「じゃあね。来年の春大会、是非見に行くよ」 ぽかんと言葉もない二人の少年を残して、男は鮮やかに身を翻した。仙洞田に一言二言挨拶をして、振り向かずに去っていく。 阿含は瞬きをし、忘れていた呼吸を思い出したように、水面にやっと顔を出せたように息を吐き出した。 「――ぶっはー!!何しに来たんだあのおっさん!!?要するに何だ何なんだ、負けんなよってことか!?」 ケーサツこっえええと叫び、阿含は二の腕をごしごし擦る。全身から汗が噴き出し、今更鳥肌が立っている。 殴らなくても凄まなくても、脅す言葉を用いなくても、嘘臭くはあったが笑顔のままで相手を圧倒し制圧することはできるのか。 「カオ真っ白だぞ大丈夫か雲水!キンチョーして吐きたくなる気持ちはわかる、連れゲロってのも色気ねえけど一緒に吐くか!?おっえ熱出そう」 「阿含お前しばらくどこにも行くな……寮でおとなしくしてろ」 「何オニイチャン愛の告白?あああごめん嘘っつーか頼まれても行かねえ。てかあのおっさん最後に地元って」 「考えるな不安になる!夜遊び控えろ。コンビニくらいなら俺が代わりに行ってやる」 「そうするオニイチャン超ありがとー。うっわ何アレ何今の。ケーサツ超コエー笑えねー、シャレんなんねー。ソーサイッカこえー!」 阿含がえらく雄弁になっている。はしゃいでいると言っても良い。あの男との遣り取りには相当驚いたらしいが、衝撃が過ぎれば珍しい体験が面白くてたまらないといったあたりか。 凄い、と思った。はあ、と息を漏らす。 「……雲水?おい、大丈夫か」 「ん?ああ……ちょっと中(あ)てられた。立てない……」 雲水のそれを阿含は茶化さなかった。自分も立ち上がらず、ベンチに体を投げ出して笑みを纏う。 「オマワリサン、こえーな」 「……そうだなあ」 「雲水」 「ん?」 「強くなろーな」 「……あんなおっかない応援団付いちゃったもんな」 「ホントだよシャレになんねえよ。負けたらタイホされんじゃねーの俺。激励にもやり方ってもんがあんだろがよあのおっさん!」 くっくっと阿含が屈託無く笑う。雲水も、次第に表情を和らげる。笑いが出る。 「ははっ。あははは――」 |